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悲劇の残り香
皆さま、こんにちは。
今回はなんだか物々しいタイトルになっております。事務局の刑部です。
皆さまは先月のお盆休み、どのように過ごされましたでしょうか?
色々な方にお話を伺うと、ご家族とゆったりとした時間を過ごされた方も多いようです。
私は友人らと共に群馬の方に出かけておりました。
8月11日からの1泊2日。
宿泊したのは四万温泉の積善館さん。
あの千と千尋の神隠しの大きな橋のモデルとなった旅館です。
特徴的な旅館で、写真の奥側の山を切り拓いて3棟が並び立っております。
そのため建物間の行き来もちょっとしたトンネルを経由したりします。
さて、そんな積善館さんで泊まらせていただいたわけですが、今回の旅行の最大の目的は2日目にあります。
2日目、8月12日。
39年前のこの日、群馬県上野村の御巣鷹山に飛行機が墜落し、多くの尊い命が犠牲となりました。
「日本航空123便墜落事故」。
この事故の犠牲者の方々を追悼するために設置された慰霊の園に、今回行ってまいりました。
険しい山道を車で走って現地につきますと、慰霊式の会場がセッティングされており、報道関係の車も見受けられました。
事故発生日のこの日、遺族の方々は日中に実際の墜落現場へ登山をされ、
夕方からはこの会場でろうそくに火をともし、黙とうをささげる式典を行われます。
この慰霊の園には展示施設があり、犠牲者の方々の所持品(ひしゃげて炭化した眼鏡から小さな子どものサンダルまで…)が
展示されているほか、当時救助活動に携わられた方々のドキュメンタリーも放映されていました。
内容はとてもここで述べることができないほど壮絶でグロテスクなもので、
私含め全員が絶句しながら、ただただそのドキュメンタリーを眺めておりました。
慰霊の園には大きな三角形のモニュメントがそびえたっています。
そのモニュメントを囲うように、犠牲者の方々のお名前が刻まれています。
お名前の一つ一つを見ていると、一組の親子が一点を指さして立ち止まっておりました。
そこにあったのは大島 九さんのお名前。
私たちの世代は世代的に大島さん、もとい坂本 九さんを深く知っているわけではなく、
学校の音楽祭で「心の瞳」を歌うくらいなものですが、
この方が亡くなられたことがどれほど衝撃的であったかは窺い知ることができます。
そんな犠牲者の方々に思いを馳せながら、
地元のお花屋さんでつくっていただいた花束をそっと慰霊塔にお供えしてまいりました。
会場に並べられた遺族の方々が座られるパイプ椅子、
昔の映像と見比べるとかなり少なくなってしまっていました。
事故の風化が進んでいることがまざまざと感じられました。
私にとっても生まれる前の事故ではありますが、
だとしても知らぬ存ぜぬでいることは違うと思ったからこそ、今回友人らとその場に足を運びました。
事故が風化することなく、その教訓が未来永劫生かされ続けること、
そして何より犠牲者の方々がやすらかな眠りにつかれていることを心からお祈りしたいと思います。
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